クリスマス

2010年12月24日 日常
クリスマスには苺のケーキが食べられると思っている
ケーキのろうそくには近づきすぎたら駄目だよね、と知っている
プレゼントは電王とオーズのベルトがもらえると思っている
朝目覚めるとプレゼントが置いてあって「プレゼントあったよー」と言う準備をしている
3才の小さな男の子。
朝から聞きながら笑ってしまった。

今日は遅くまで仕事だけれど
明日は休み。
天皇誕生日からクリスマス当日まで毎年休みだといいよね。
みなさま、心静かに
そして、よいクリスマスを。
雪が降ってきた。

耐えられることと耐えられないことがある。

保育園の帰りにデイサービスの車に乗った高齢者をみた。
ここまで行くまでに私には何ができるのか
どこまでいけるのか

どこまでもいけないこともよく知っている。

何の目的で耐えているのか
それすらふっとぶことが多い。

昨晩私が暴力をふるった。
(具体的には寝ている相手の腕を上から殴った。)
暴力はさいてーなこと。
でもさいてーなことを止められなかった。
しかも相手は手負いの身。
さいてーで、どこまでも最低。

書き残すのは、記憶の残存にもなるから
悪いことは書きたくないけれど繰り返したくないから書く。

6年前のことを問われるけれど
どういう気持ちで裏切ったのかと何回も問われるけれど
そんなことは果てしもなくどうでもいい。
どうでもいいことだったから覚えていない、では、でも、許してもらえない。

相手の欲しいのは限りない憎しみと罵りの言葉なのではないかと思う
それとも

「Q10」の最終回をみた。
単に幸せになりたいだけだと思った。
誰も皆そうだといいけれど。

耐えられると思ったけれど
耐えられないことがずっと多い。

それでも耐えようと思って
変われたらいいなと思ってここを書いてきた。
絶望だけれど書けば軽くなれる、その程度なら
どれだけも呪詛の言葉を吐きだして
日常はせめて1gでも軽くなりたかった。
(それが一方的な観点からの思い込みの言葉だなんて、私が一番よく知っています。)

呪詛と憎しみにみちたここをみていただいてありがとうございました。
どこかのあなたのおかげで、ここまでこれたのだと思います。
別に死ぬわけでも書かなくなるわけでもないですけれど
日常生活ではないここもとても好きでした。
ただその今の記録です。(言わないと伝わらないことも多いから。)

「架空生物のブルース」、とてもいいです。

音楽

2010年11月22日 日常
最近はフジファブリックとアジアンカンフージェネレーションばかり聴いています。

「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビでそういってた
 それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている」

どこにもいけなくなるはずだ。

こんな日には。

2010年11月21日 日常
寒さの狭間にある、こんなぼんやりとした暖かな日が好きだ。

保育園の学芸会の待ち時間で、窓辺で背中をあたためられながらついうとうと。

明日も休みをとって4連休!で間違いない幸福な日曜日です。

こんな日は昼間の光の中でセックスしたり、
こどもと彼の笑顔をみたり、
「マリアビートル」の続きをうたたねしながら読んだり
散歩したり
夜はゆっくり話しながらお酒を飲んだりするのがいい。
そして夜は腕の中で眠るのがいい。
それ以上は何も望めないくらいの、最上級の日常の幸福。

今までみえなかった、みようとしなかったものが
はっきりとみえてきたので
私はまだ生きられる、と何故だか思っています。
こんな日には。

さそり座としし座

2010年11月17日 日常
私は石井ゆかりさんの言葉を信じているので、
よい言葉があるとよい未来を感じます。
悪い予言は一瞬で焼き捨てて、
よい言葉だけ残しておくのが、私らしい。
それに石井さんは悪いことも悪いことに感じさせない力があるから
好きなのかも。

2010/11/15-11/21 さそり座の空模様。
「条件がそろう」という感じがする週です。
いくつか、そろわないパーツがあったのが
ここで、びしっとそろうのです。
そのため、今週の蠍座には
深い安堵感、胸をなで下ろすような「ほっとする」感じが
満ちていくだろうと思います。


愛や感情に関することで
ずっと待たされていたことがあったなら、
今週、その「待ちモード」が解除されるのではないかと思います。
自分からガンガン行く決意を固める!
という感じではなく、
「回転時間が来てドアが開いた」
というようなふわりとした自然さがあります。
今週は総じて、
今まで不安で仕方がなかった自分を
あははと笑えるタイミングが多そうな感じがするのです。


2010/11/15-11/21 しし座の空模様。
心から聞きたい声が聞けますし
心から触れたいものに触れることができると思います。
今までそれを妨げていたものがあったのかもしれません。
その「妨げ」が、
今週、すうっと消えていきます。


さわやかであたたかな、小春日和のようなコミュニケーションを通して、
非常に暗い、奥の方にある柔らかなものに触れ、
触れたところに生まれる燐光のような光を見て
感電するようなインスピレーションを得るかもしれません。
あるいは、心の奥の氷がとけ、毒が中和されるような
痛みの癒える喜びを感じられるかもしれません。

そうなるといいなと、思っています。

もうすぐ誕生日だ。

さそり座

2010年11月5日 日常
石井ゆかりさんの占いを心の拠り所にしています。


『とても印象的な週となりそうです。

何か大切なことが静かに始まります。

「満を持して」の最初の一手を静かに打つ人もいるでしょう。

何かが「解禁」になったような状態が訪れるのかもしれません。

この「はじまり」には、

展望と見直しがスパイスのように作用しています。

これまでの経緯を眺め渡して

「ここはまずかったな」というポイントを抑えると同時に

「確かにこっちに向かっていこう」という思いを新たにするのが

今週の「はじまり」の

血とも肉ともなっています。



恋愛でも、仕事でも、他の事でも、

「歩いてきた道」から学ぶことは大いにあります。

でも、人は時には

がーっと突き進むことも大切です。

うしろを振り返ってはいけないときと、

後ろを振り返らなければ前に進む道も見いだせないときと、の

両方の「タイミング」があるのだろうと思います。



今週は、一つのターニングポイントです。

基本的には「前を見て進む」、スタートの時間です。

でもそこに、

ちょっとした「見直し」が働いています。

これは決して、暗い後悔や辛い反省ではなく、

自分で感じていた問題の建設的な解決策がそこにある、

ということに過ぎません。

大きく深呼吸して、

前後左右、天と地とを眺めわたし、

心に深く決意を固め直して

「ここまできた!そして、さらにゆく!」という印の石を

そっと路傍に置いていくようなタイミングです。』


今まで積み重ねてきた罪が一気に露呈され崩れ、最後には何が残るのでしょうか。
何よりも相手を苦しめている自分という存在がおそろしい。
でも私はただ「愛している」ということに気づけたので、まだまだ生きられているのだと思う。

新しいことが、できるとよい。

今日は小学校2年生からの付き合いの、一番仲の良い友人の結婚式でした。
相手の方も友人も、どちらも優しくかしこくあたたかくて
この人に会うためにふたりともいたのだな、と感じられるお式でした。

ひとの幸せがこんなにも幸せだとは
思っても見なかったくらい幸せなことでした。
カレンダーの日付をみてぎょっとした。
もうすぐ7月も終わる。

今日は朝からこどもの歯医者やら(虫歯12本なんて今の時代で信じられない)、大型スーパーやらに走り、お昼のカレーを食べながら買ってもらったばかりのウルトラマンの人形で遊ぶこどもをみつつも視界の端では時計。
ピアノ教室に汗かきながら自転車で走るも、月三回のそれはお休みで
がっかりしつつも笑いながらふたりでTSUTAYAまで遠出をして
「ママはデスパ、借りていいよー」の言葉に乗り「デスパレートな妻たち」と「ウルトラマンタロウ」と「鬼太郎」と「マダガスカル」を借りた。
(本当は「トイ・ストーリー」が第一目標だった。)
うちに帰って麦茶をごくごく飲み、シャワーを浴びてこどもをDVDとともに寝室に置き(昼寝するので)、様子を見に行くと「鬼太郎はこわかったのでタロウにかえたの」と言ってました。自由です、どこまでも。

最近は「告白」をみました。想像以上にすごい映画で、どちらかというと木村佳乃系ママのわたしとしては、こどもにああされないように気をつけようと思いました。清楚系の木村佳乃よりも、最近の切れまくっている木村佳乃さんのほうがずっと好きだ。松さんも才能ある女優さん。監督さんの作る美しい世界。映画の夢がみられました。

ドラマも「ゲゲゲの女房」(最高!)に「GOLD」に「デスパ」に「新ビバヒル」に「うぬぼれ刑事」に「モテキ」にできれば「ホタルノヒカリ2」まで手を伸ばしています。寝付けない夜にイヤホンつけて寝室でみるとそんな夜も苦痛ではなくなる、むしろ喜び。本はやっと銀色さんと川上さんを読みきったくらい。伊坂さんの新刊もよみたいなあ。

来週は東京にひとりこっそりと赴き、ブス会。をリトルモアでみる予定です。
そんなこと本当にできるのかな?
自分でリミットさえかけなければ、世界は自由。
駆け足で8月も生きていく。

「殺人の追憶」

2010年6月24日 日常
雨の降る日でした。

「渇き」を調べていくうちにポン・ジュノ監督の映画がみてみたくなり
「殺人の追憶」を借りました。

一度だけいった韓国の、何も知らなかった歴史や
暗い路地(アラーキーの写真集でも沢山あった、あれ)、美しい俳優、
暗闇にどんどん引き込まれてしまいました。
雨の日が少し怖くなりました。

そしてもっともっとみたい。
BSの大好きなERの次回予告で目にした、
「信仰」という言葉のあとの「believe the unseen」の文字にはらはらと涙が。

信仰も恋愛と本当によく似ている。
見えないものを信じたり、それを信じて心を傾けたり。
傾けた分だけ、その実在を信じずにはいられなくなったり。

そしてそしていつもいつも戻っていくのは漱石の「行人」です。
一郎の行く先は、「自殺」か「発狂」か「宗教」か。
私がこどもを残して「死ぬ」ことはありえないし
それほど魅惑されるような救ってくれるような「宗教」とも巡り合えておらず
心が耐え切れずに「発狂」するのが落ちだろうなあと思っていたのですが
こどもといるとなかなかなかなか。
生命力の塊の彼らが発するたどたどしいまっすぐな言葉に笑っては
単純にいやされながら。

彼が家に帰らなくなって5日目。
なかなか状況は厳しいのだけれど(しょっちゅうか)
いいときもあるのだから、日々待つしかなく。
それでもある程度は言いたいことは言えたので自分の中ではよしとしたい。

運転できないのだけれど必要にかられて車でも買おうかなあと柄にも無く思っています。
でもやっぱり買う勇気すらでてこないかなあ。
(印鑑も買って、印鑑登録証明まではしてみたのだけれど。)

こどもと余ったコーンフレークを使って、コーンフレーククッキーを作った。
お手伝いよりも最後は味見をしに子供がやってきて笑った。
こんな単純な毎日があれば、もういいのかも。難しくて、簡単。

「裏切りの街」

2010年6月19日 日常
このとき東京にいたのに、とこんなに悔やまれたことは無かった
「裏切りの街」が、WOWOWでやるらしいので
早速7月に入ったらWOWOWに加入する予定。
(私のPCの背景は今もちろん「裏切りの街」!)

みてもいないのに、演劇の筋はネットを徘徊しすぎてすっかり承知だけれど
私の妄想(想像)と現実がどう違うか、田中圭くん、秋山さん、松尾さんと三浦さんの現実の舞台がとりあえずはみたい!!!

ブス会の「女の罪」も見に行けたらよい。


一回きりの人生だから一回きりのステージのように一回きりしか出会えないことが沢山ある。

ところでベルイマンの「ある結婚の風景」がみたい。
ベルイマン、全然みたことがないのだけれど俄然興味が。
7月には「(500日)のサマー」DVDレンタル開始だし
6/23には銀色さんのつれづれ発売だし
「告白」も新潟でやっと上映の「渇き」もみたいし

まだまだみるものがあるなら、生きられる。

とりあえずは明日晴れているならチビさんと公園ですが・・・
母のこころは映像界を浮遊しているよ。

hana

2010年4月30日 日常
国立新美術館で「ルーシー・リー」展をみた。
ほどよい人の中、花のような花器、小さなコーヒーカップ、薄いピンク色にこころをもっていかれて、美しい器、美しいテーブルなどについてしばし考えた。

しかし彼女の器が私たちの食卓に上ることはほぼない。残念であり、幸せでもある。できうる限り化石のように、割れずに美しさが残っていきますように。

桜の花びらが舞っているだけで東京はもう葉桜でした。
浅野いにおの「ひかりのまち」を買った。
ふつうであることのほうがずっとずっと難しい。
でもどっかで救いがあるからこの物語は優しい。

聖☆高校生

2010年4月7日 日常
小池田マヤさんの4コマストーリー(エロ)マンガ
というかもはや人が人とどう生きるかを描いた超大作で
昨夜10巻を一文字も漏らすことなく熟読しました。

それでも先生が好きな聖くん、11巻(ラスト)が楽しみです。

友達のこと。

2010年3月26日 日常
小学校で転校して出会って以来、ずっと友達だった彼女が
10月に結婚するよ、とメールをくれた。

小中と仲が良かったわけではないが
高校時代は毎朝マンションの下で参考書片手に待っていてくれた姿が今でも眼に浮かぶ。
野球の話や音楽の話や、シニカルな笑いがわかるのは彼女だけだった。

私たちはその当時互いに不安なことやつらいこと、好きな人の話などを誰かに打ち明けることもなかったが、そんな繋がりが私には丁度よかった。

だからこそ誰にも打ち明けられなかった彼の借金と離婚については彼女には話せた。その後、何とか続けていこうとしていると伝えると「終わるよりも続けられるなら続けられるほうがよいよ」と静かに言葉をくれた。

私は彼女に何ができるのだろうか?

せめて私は、聡明で美しい彼女が、もっと幸せになってくれることを願います。
そしてみなさまにもあたたかい春の息吹が届きますように。

karuku

2010年2月12日 日常
もっと軽く、飛んでゆきたい(のに)。

外には残雪、今日もでもまた降っていた。
伊藤比呂美さんの詩も、こんな日にはよい。

眠るときに、湯たんぽを使うようにしたら
もう手放せなくなった。
自分の冷たい足先が、ほんわかと温まっていくあの感覚。

村上春樹さんの「1Q84」BOOK3、4/16発売。
忘れないようにここにも書いておく。

読書を忘れた私は、それでも、それなりに生きていけることに気づく。
でも何か足りないよね。

明日はこどもの誕生日。
残念ながら午前中は研修が入っているけれども
午後からは沢山遊ぶ予定、遊ばれる予定。
こどもには実は私よりも物事がはっきりと見えているのではないかと
はっとさせられる言葉が多い。
雑音少なく、ただ自分の欲望に正直に。
私などに邪魔されず、まっすぐ伸びたまへ、君よ。

2010年2月4日 日常
雪が降っている。

雪が(新潟にしても)沢山降ったお陰で、福岡便が飛べなくなり、帰省は明日に延期。
こどもを保育園へ連れて行こうとして自転車にのせて雪道を歩くと
当然のようにいつもの音が無くて、白くて、「わあっ」と思った。
保育園がみえたときには、こどもと一緒に何だかほっとした。

今、書きながら「きたことのあるはじめてのみち」という映画を思い出した。
あの時の私はとてもこの映画が好きだった。

パソコンの前でずっと世界の片隅を覗いていて疲れたー

晩御飯はあたたかいスープと、昨夜やりそこねた節分をしなくては。
(そうそう新潟の節分は落花生なのですよ。)



スタンプ

2010年1月5日 日常
毎日がほぼ同じことの繰り返しで、
年が変わったことなど、実際には制服の衣替えよりももっと身近ではない感覚があったが
スタンプの「22.1.5」の「22」の数字を見て
どきり、とするのは
まだこころが生きているということで
なんだか毎回少し新しい気分、なのです。

あけましておめでとうございます。

1月後半に長野に研修で行くので
そのときに「夏至」に行けるのが今のところの楽しみ、な私です。

年の終わり

2009年12月31日 日常
やっと休みになった今日は、
年賀状作りで一日が終わりそう。
あとは、ビッグダディとか嵐とかみて
静かに眠ろう。

伊坂幸太郎の「SOSの猿」読了。
伊坂さんがどこにいこうとしているのか、楽しみです。
ずっとそのままじゃ、つまらない。

わたしもこどももみなさんも、来年はもっとよい年に。
ロバート・ハリス

ポツドールの「裏切りの街」をみる、が私のリストに加わった。

本当にいろいろあったのだが書き連ねただけで疲れたので消した。

新潟は雪だらけで、それでも自転車で保育園へおむかえ。
行きはひとりで黙ってだけれど
帰りは息子とおしゃべりしながら。
クリスマスにはサンタさんがくるよ、と息子と楽しみに待っている。

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